先輩といるときの自分が

 こんばんは。Nanashunです。

 今回は昨日の思い出を振り返りながら、思ったことを書いていこうと思います。

 昨日はサークルの先輩2人とご飯でした。5ヶ月ぶりの会合となった昨日は、誰しもがその日をとても待ち望んでいて、積もる話を小出ししては、たくさんの笑い合いました。でも、毎週誰かしらに会っては、何かしらをしている自分です。昨日が特別笑い合えた日かと言われれば、決してそうではないと思います。ただなんというか別れ際、1人になった瞬間に「ずっとここにいたい」そう思えたのは久しぶりで、そうさせたのには理由があることに気づきました。

 結論から言いますと、自分の人生のモットーでもある「自分らしく」いられたからです。でもそれって当たり前のことかと思うかもしれません。けれども、意外に当たり前じゃない、というか厳密にはいつでもどこでも「自分らしく」いられることは当たり前じゃないということです。こう言うと、なんだかストレスを抱えているのか、そう思われるかもしません。実際自分では気づいていないところでそうなっているのか、それはわかりませんが、少なくとも言えるのは人間いつでもどこでも「自分らしく」いられることはないということです。例えば、わかりやすいのは家族といる時の自分と友達といる時の自分は違うというものです。正直、ここだけの話、自分は家族にはなんでも許していることもあり、時に当たりが強くなってしまうことがあります。しかし、友達にはそもそも全てを許すなんてなかなかできないですし、ましてやそれができても強くあたるようなことは滅多にないです。それと一緒で、人間には多くの側面があるということです。別にこれは決して悪いことではないですし誰しもがそうであるので、むしろ他者からは尊重されるべきです。しかし、それと同じくらい自分の中でも尊重するべき自分がいてもいい、そう思うのです。そう思った時に、自分は先輩に可愛がってもらって、時にイジられては笑い合っているあの瞬間が一番「自分らしく」いられるのだと最近気づいたのです。それは昨日のプライベートもそうですが、最近のブログでも見ての通り、仕事の話はほぼ先輩との話ですよね。つまり、どんな環境でも先輩といる時の自分が、「自分らしい」のです。正直、今まで気づいていたようで気づいていませんでした。というのも、大学時代の自分のブログを読んでいる人ならわかると思いますが、自分は家族、友達、それ以外にも後輩、同期と様々なコミュニティでこよなく「自分らしさ」を語っていたからです。でも、もう気づきました。なんだかんだ、家族や友達、後輩、同期にはどうしても「プライド」が出てしまいます。だから家族であれば少し当たりが強くなる時もあれば、友達や同期であれば負けたくない意識もあり、後輩にはカッコよくいたいと思うようなことがありました。でも、それって少し背伸びした自分だなって。結局弱いところを見せられるのは先輩だけで、それを笑い合えるのも先輩だけでした。

 だから、毎回先輩といる時は居心地がよくて、昨日みたいに「ずっとここにいたい」と思うのだなと気づきました。でも、生きていく中でせっかく色々なコミュニティがあるなら、全部「自分らしく」いきたいですよね。とはいえ、なかなか今までの凝り固まった自分を許すのは難しいので、少しずつ「自分らしさ」を発揮できればなと思います。でも、何度もいうようにそれら大多数のコミュニティで窮屈を感じているのか言われれば、そういうことではなくて。ただ平行線に並んだコミュニティの中で、先輩という存在が少なからず自分にとっては一番居心地の良い場所であった、ただそれだけの話です。でも、もしかしたらそういう先輩に憧れて、後輩たちには少し背伸びした自分になってしまうのかもしれませんね。もう語り出したら、キリがないので今日はこの辺で。とにかく、昨日は久しぶりに楽しいが溢れました。また書きます。読んで頂き、ありがとうございました。

Nanashun's Portfolio

NanashunのPortfolioです。

0コメント

  • 1000 / 1000