阿吽の呼吸

 こんばんは。Nanashunです。

 今回は昨日まで1泊2日で仙台に旅行に行ってきた時に感じたことを書いていきたいと思います。

 結論から言うと、ここ最近の予定で一番ストレスフリーに過ごせました。それにはいくつか理由はあると思うのですが、大前提いつもと自分は変わらないとなると、やっぱり一緒に行った相手がポイントだったのかなと思います。今回一緒に行ったのは、小学生からの友達で、もう付き合いで言えば15年ほどのいわゆる親友でした。しかしながら、高校、大学とは別々の道を歩んできたので、実は今回のような旅行はその15年の中で初めてでした。そんな仲は良くても、まだわからない旅行でしたが、終わってみればとても居心地よくて。それを分解してみると、先ず友達の協力的な姿勢が良かったなと。旅行なら協力するのは当たり前、なんて思うかもしれませんし、実際ここまではかなりできる友達は多いのですが、意外にできない人も一定数いて。でも、これは自分の性格的な部分もあって、何でも自分で計画できちゃうこともあって、一緒に何かする友達は自分に委ねている部分もあります。それでも、何か意見を求めた時に否定せずとも自分の考えを述べてくれると、それも含めて旅行だなって思いますよね。でも、これは何度も言うように結構多くの人ができているので、そこまで重要なポイントではないかもしれませんが、意外にできない人もいるので一応嬉しかったです。

 そして次が今回一番良かったポイントで、時間の感覚が合っていることです。これって何?と思うかもしれませんので今から話しますが、例えば一日の中で予定がいくつもありますよね。その中で自分がこの予定にここだけの時間を費やしたい、という感覚がミリ単位でずれないこと、あるいは互いに補っていることです。そんなの難しくない?と思うかもしれません。難しいです。自分の友達の中でも、ここだけがなかなか合わず、マイペースで予定が後ろ倒しになったり、逆にせっかちで予定が前倒しになったり、歩調が合わないことがあります。もちろんその張本人は自分のペースで事が動いてるので、ストレスはないかもしれませんが、何せ計画性のある自分からすれば、計画が狂わされているのと同義なので、それは口に出さずともストレスに感じます。でも、今回それがましてや旅行という長い時間の中でなかったのは、とても自分にとって居心地のよいことだったことに気づきました。

 けれども色々振り返ると、それはお互いに依存し合ってないのが考えられるのかなと。何でもマイペースな人やせっかちな人は、相手に依存しているなと。自分の軸で物事を考えているから、そうなるのかなと思います。もちろん、自分も自分では予定を考えて、提案までしますが、それだけで決定することはなく、必ず意見を求めるように投げかけています。そんな時に、自分に意思があって、なおかつその予定を上手く自分の中に落とし込めた今回の友達は、やっぱり長年の呼吸が違うなと。なんだかんだ最近の付き合いはないとか、旅行は初めてとか言っていましたが、そんなことも忘れさせるくらい居心地が良かったのも、昔からお互いのことを知る自分たちだからだと思いました。ただ、こんなのは科学的根拠もない話なので、今回がたまたまかと言われればそうなのかもしれませんが、少なからず言えることはそういうことが何気なくできる友達はすごいなと。ただ純粋にそう思います。そういう意味でも、とても有意義な時間でした。ということで、久しぶりにプライベートについて語りました。以上です。読んでいただき、ありがとうございました。

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