青の朔日
こんばんは。Nanashunです。
今回も彼女の話。決まって、彼女の話をするときは大抵心が揺さぶる時。今回もそんな心揺さぶる出来事について書いていこうと思います。
実は最近、自分たちはよく夜公園を散歩しています。散歩なので目的もなく、ただ二人とも「散歩が好き」それだけの理由で散歩していました。ある日には一つのベンチに二人で座ったり、ある日には二人なのに鬼ごっこをしたり、寒い日には二人でコーンスープを飲んだりと何気ない日常を過ごしていました。そんなことを昨日も繰り返していたのですが、自分たちは夜が深まるにつれて、だんだん話題も距離も深まっていきました。そして、ある時自分が冗談と本音の間を泳ぐように「じゃあ俺と接吻できる?」と言いました。いつも割と冗談を言い合っている仲でもあったので、きっとはぐらかされて終わりだろう、そんなことはない、なんて思っていた自分に、彼女は「いいよ」と言いました。その返答には、自分で聞いていたのにも関わらず自分が動揺してしまいました。ただ、この段階ではいくら仲が良いとは言え、まだ半信半疑でした。しかし、そのまま深まる夜の中、彼女から「目瞑って」と言われると、それはだんだんと信憑性を増していきました。そんなことを考えているや刹那、頬に彼女の優しさが触れました。その優しさが触れたあと、自分はなぜか嬉しいはずなのに、身体が震えていました。しかし、それは寒さのせいじゃありませんでした。振り返っている今ですら形容できない感情が、身体全身に走っていました。それでも、そんな全体的に情けない自分を差し置いても、彼女はずっと傍にいてくれました。その体温に慣れてきたあたりで、だんだんと震えもおさまり、自分は自分を取り戻していきました。そこで自分は彼女にストレートに聞きたいことを投げかけました。「なんで接吻してもいいと思ったの?」と。すると、彼女は「安心できるから」と一言呟きました。それを聞いた自分もまた安心していました。思えば、自分たちは幾度となく喧嘩をして、そのたびに傷つけ合ってきました。それすなわち、安心できるなどという言葉は程遠いものでした。しかし、それでも「喧嘩したら仲直り」や「きっと乗り越えられる」などポジティブな言葉を掛け合ってきた中で、自分たちで自分たちの安心を手に入れることができたのです。すごいと思いませんか。当事者である自分が1番すごいと思っています。でも、その言葉をくれたのもまた彼女です。ブログからもわかる通り、感情の揺れが人より激しい自分が、大切な人に「安心できる存在」と言われるまでになったのです。これが何よりも嬉しい事実でした。
その後も自分たちは、まるで頭のネジが外れたかのうようにお互いの温度に触れていました。公園を去る最後、彼女が三度(みたび)接吻をしてくれたのですが、その後に自分を見つめる瞳が美しすぎて、自分はその瞳に吸い込まれていました。瞳がコンプレックスという彼女ですが、自分にとっては彼女の瞳はむしろ人を惹きつけるための武器だと思っています。でも、それを伝えても彼女は「カラコンだから」と照れ臭いのか認めてくれません。でも、そうは言っても嬉しそうな彼女を見ていると、こっちまで嬉しくなりますね。今日もどこかで、その美しい瞳でこのブログを読んでいるのでしょうか。その瞳に似合うように、自分もこれからも美しい言葉を紡いでいきたいですね。そんな感じで、ちょっと今回は照れ臭い内容でしたが、忘れたくない思い出でもあるので、自分に正直に、言葉に忠実に、ブログを書きました。
読んで頂き、ありがとうございました。
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