感情の整理
こんばんは。Nanashunです。
此間の今日で、こんなにも書く内容が違うのかと思われることがあるかもしれません。今回は楽しいことの共有ではなく、悩みに近い感情の整理で書いていきます。
平常で不満もない日々。そう綴った日々も、出来事一つで虹色にも灰色にも変化するものではありますが、今回はどちらかというと塵積(ちりつも)系で、ぢわじわと自分の感情に揺さぶりがかけられていました。それは思い込みによる素直な葛藤であったり、それは失敗による激しい自己嫌悪であったり、様々です。またジャンルも様々で、プライベートから仕事まで生活の至るところに感情を揺さぶる瞬間があり、それは時に美しい瞬間でありながら、また時に自分を追い込むような瞬間でもありました。そして、今回はその追い込まれた瞬間が言葉になって、今自分や読み手もわからない誰かの元に届いています。届けています。
ただ、一夜明けてこういう感情の整理ができると、思い込みによる葛藤から解放されたり、失敗による自己嫌悪も肯定できたり、やっぱり時間のもつ力とはすごいなとつくづく思います。それは想いにせよ失敗にせよ、その程度のものだったのかと言われればそれまでですが、決してそういうわけではなく、ただ割り切りなくては進めない人生の中で、そのタイミングがいつかどうかの問題だと思っています。それが年々歳を重ねるたびに早くなってきています。つまり、感情の整理はだんだんと上手くなってきているわけです。それは時に自分を解放し、一方で軽視されるものでもあります。だから、感情は難しい。それでも、唯一主観的な感情を客観視できる方法が「言語化」だと自分は思っていて。そのための今回のブログでした。終始何を言っているのかわからない方もたくさんいるでしょう。でも、それは正直言って事の本質ではありません。届くか届かないは対面でもない限り、ましてや対面であっても、それはどこまで行ってもその人だけがと持つものです。そんなわからないことは、追う必要などないのです。ただ事実としてこの時間が自分にとって大切であり、またそれはある時誰かも同じ気持ちになれるだろうと信じて届けています。でも、これまた感情の面白いところでもありますが、ある時を境にこういうくだらない感情論がどうでも良くなるくらい、光る瞬間が訪れる可能性があります。その時はまたいつも通り、楽しい言語化をして共有したいと思います。光も闇も含めて自分です。美しいものを作るには白だけでは作れません。時に黒ずんだ色、それに色彩が織りなって自分を形成していきます。その一部分が今回見えただけ、と思っていただければ幸いです。長くなりましたが、もうこの時点ですでに感情の整理はできました。空回りしている自分も、なんとか道筋が立ってきました。また歩いていきます。
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