美しい痣となって

 こんばんは。Nanashunです。

 暖かい季節になった今日この頃、自分たちはまた一つ季節を乗り越えたのだと思いました。4ヶ月目の今日も自分はブログを綴ります。

 早速ですが、4ヶ月経って自分は大きく成長しました。それは「自立」できているということです。1月からのブログを見ればわかるように、自分は彼女とのこれまでを自立できず、言ってしまえば「依存」に近いような生活を送っていました。その中では、時に彼女との喧嘩も多く、またそうなってしまうことへの自己嫌悪も多く、とにかくどうにかしたいと悩んでいました。しかし、4ヶ月が経った今、最大の課題であった「心配性」も徐々になくなっていき、自ずと身体的疲れや精神的ストレスも減ったような気がしています。でも、これがなぜ起きたのか、きっかけとなる出来事は思い当たらず、ホワイトデーを終えたあたりから、気づけば自分が自立できていることに気づきました。しかし、持っている性格はやはり心配性であるが故に、これは彼女のことを本気で思えているのか、そんないらないことまで今度は考えてしまいました。自分はいつ何時も、安心する生活を送ること、それ自体が不安であるが故に、安心すると次の不安を抱えたくなる癖があるのです。だから、仕方のない感情と言えばそうなのですが、間違えなく言えることが2つあって、1つはこの心配性はいい心配性であるということです。今までの疲れやストレスになる心配性に比べて、今回のは疲れはなく、むしろリフレッシュしてる心配性なので、これ自体はいい状態であることは確かです。そしてもう1つは、彼女のことが変わらず好きであるということです。確かに、いつもと違う感情に出会うと、それは文字通りいつもと違うので、今までを疑いざるを得ないのですが、それは別に前と後と分けて考えるのではなく、点と点を結ぶ線で考えるべきだと思っています。そして、それこそが1月からずっと言っていた「乗り越える」という表現であり、今がまさにその乗り越えたあとの景色なのです。それさえわかっていれば、好きという気持ちに疑う必要はありません。

 ちなみに、自分はあまりにも素直であるが故に、このことを彼女に話すと、いつも元気で明るく、自分に疑いの眼差しを一切向けない彼女も少し不安そうでした。自分ではいい感情になりつつあることを伝えたつもりでも、彼女ちはいい伝わり方がしてないのかもと思うと、やっぱり言葉とは、言葉を伝えるとは、どこまでいっても難しいものですね。それでも、諦めが悪い自分です。少しでもその不安があるのであれば、払拭できるようにと、日々の生活やこういったブログの中で想いを伝え続けることを決して辞めてはいけません。そう思うと、自分の中での思いの最後は、思いを伝えたいと思わなくなった時かなと思っています。もっと簡単に言えば、諦めが悪い自分だからこそ、諦めたらそこで試合終了かなと思っています。でも、これまでも今もそれだけはありませんでした。だからこそ、ぶつかった日々もあれば、悩んだ日々もありました。それでも、諦めなかったことで辿り着いた今は、もはやただの痛みではないのです。それはきっと「成長痛」と呼ばれるもので、1月からずっと続いてきた痛みの正体です。でも、それも今となれば美しい痣となって、自分の身の一部になっています。そして、その痣は消えないから、いつ何時も思い出すことができるのです。痛みは忘れることができても、消えやしない。ならば、消えない痛みすら愛することができれば、それは素敵だと思いませんか。そうやって、どんな過去すらも自分たちのものにしていく。まだまだ始まったばかり。これからまたぶち当たる壁も、美しい痣となると信じて、まだまだ思い出更新していきます!

 読んで頂き、ありがとうございました。

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