ことば
こんばんは。Nanashunです。
少しの間、ブログを休止しておりましたが、6月に入りましたので、このタイミングで再開させていただきたいと思います。そもそもなぜ休止しようと思ったのか、そしてなぜまた再開しようと思ったのか、そこの空白の時間を言葉にしていきたいと思います。よろしくお願いします。
先ず、なぜ休止することになったのか。直近、誕生日、半年記念日など色々なイベントも迎えた裏には、彼女との壮絶な喧嘩が幾度となく繰り広げられていました。はじめのきっかけは、彼女の悩みについて。彼女はここ最近、まさにイベントを迎えていた最中で、仕事に悩みを抱えていました。それは決して職場の人間関係が合わないなどそういう精神的な悩みではなく、どちらかというと自分がもっと成長するためという前向きな悩みでした。これを聞いた時に真っ先に思ったのは、尊敬でした。何度もブログではお伝えしている通りですが、彼女には仕事で尊敬できる点がたくさんあります。そんな彼女と時には一緒に、時にはライバルとして向き合ってきた自分は、今回もまた先に行こうと悩んでいる彼女に、正直尊敬の気持ちを持たずにはいられませんでした。しかしなから、この期間自分がそれに気づかず、彼女に何気ない一言をかけたことで、彼女と喧嘩になりました。また、つい最近にも些細なことが積み重なり、せっかく喧嘩三昧だった3月までを乗り越えて迎えた4月から、自分たちはまたしても喧嘩する5月を迎えることになったのです。これを機会に、自分は一時期自分の言葉に自信を失くしてしまいました。というのも、彼女は自分と付き合う前からこのブログ、つまりは自分の言葉が大好きでした。そんな彼女が好きな自分の言葉で傷つけることになるなんて、あってはなりません。だから、彼女が自分の言葉をまた好きと言えるような状態になるまでは、黙っておこうと思っていました。とはいえ、喧嘩すればするほど伝えたい想いばかりが募る中で、しかしながらブログがないと上手くまとまらず、伝わりきらないこともあったりして、もう自分でも自分のことがわからなくなっていました。
そんな時に、つい昨日、彼女とデートの機会がありました。はじめこそどんな顔で会えばいいのかお互いわかっていなかった自分たちは、ぎこちないまま1ヶ月前から予約していたSUPER BEAVERの個展「あなたと生きることばたち」に向かいました。正直、1ヶ月前にまさかこんな形で迎えるとは思っておらず、それからもずっとぎこちない雰囲気は続きました。ある時、彼女が一人でコンビニに行ってしまいました。普段なら諦めの悪い自分はついて行ったでしょう。しかしながら、今回はついていく気力すらありませんでした。何か言葉を発せばまた彼女を傷つけかねないと思った自分は何も言うことなく、ただひたすらに都会の風に吹かれながら一人待っていました。途中、彼女が戻ってこなかったらどうしようとか、そもそももう終わっちゃうんじゃないかとか、あれもこれも悪いイメージばかりが想起されていきました。それでもそれが嫌だと彼女に伝えられない自分は、ただただ涙を流すしかできませんでした。それでも彼女が戻ってくるとまだ続いている時間に安心し、少しでも寄りを戻そうとあれこれと考えては試しました。すると、彼女もだんだんいつものような感じを取り戻してくれました。この時笑った彼女に、心の中でガッツポーズしながらも、また調子に乗って彼女にいらないことを言わないようにと、慎重にコミュニケーションを取りました。そしてやっとこさまともに話せるようになったタイミングで、自分から今回のことを謝りました。すると彼女も謝ってくれました。こうして仲直りすることができて、その期間自分の中でもたくさんの伝えたい想いが重なって、今に至ります。では、最後にその想いを書きます。
先ず前提から言いたいのは、今回のようなどんだけ壮絶な喧嘩をしても、自分の彼女に対する気持ちは決して揺るぎません。むしろ、上がっていくばかりです。でも、一般的にはそれって不思議なことだと思います。普通は、喧嘩してお互い許せないことや傷つける人に対して、気持ちは離れていくのが一般的だからです。でも、自分はそういう喧嘩を通して、彼女のことをより深く知ることができるし、理解しようと努力できます。もちろん、喧嘩はないに越したことはないでしょう。ストレスもなければ、疲れもしませんから。でも、喧嘩がなかったらなかったで、本音で言い合えないということは、それはそれでストレスですし、疲れると思います。だからどっちもどっちだと自分は思っていますし、少なからず自分たちの場合は、お互い嫌なことは嫌だとハッキリ言うことで、関係を強くしてきました。そういう意味では、やっぱり今回の喧嘩もちゃんとお互いを知るいい経験になったと思います。ただ、何度も言うように、喧嘩はない、少ないことに越したことはありません。誰だって不幸せになりたい人がいないのと同じように、ずっと幸せであることを誰しもが望みます。しかしながら、ずっと幸せであると言う状態、そんなことはこの世に存在しないだろうという前提で、もしそんなことがあるとしたら、完全に相手のことを理解し切った結果でしょう。何を言っても、許せる、傷つかない、そんな状態がずっと幸せな状態だと言えます。でも、そう思うと、自分たちがこうやって喧嘩するのは、最終的にはずっと幸せな状態を目指しているわけです。こうやって鬼のような喧嘩を繰り返す中で、互いのことを許し、認め、理解する。そうやっていけば、もしかしたらそんなありえない永遠の幸せも手に入るのかもしれませんね。でも、それが証明できないのは、それを迎えた人がいないから。それを迎えた人がいないということは、人はやっぱりぶつかる生き物だということです。でもそう思うと、それは決して良いとは言えなくても、悪くないとは思えないでしょうか。今回、自分たちも本当はこんなことがなければ1番良かったのかもしれませんが、今回このようなことが起きたことで、自分たちはさらにお互いのことを知ることができました。それならば、確かに辛いことではあったかもしれませんが、悪くないのではないかと。ただそう思いたいだけかもしれません。でも、もうこれが起きてしまった以上、そう思う他ありません。
最後になりますが、これは彼女へのアンサーとします。彼女はよく自分のことを「優しい人」、「大人」と言います。今回も彼女が伝えてくれた言葉には、その言葉が含まれていました。ただ、それは彼女も「優しい人」であり、「大人」です。自分も何度と彼女の優しさや大人の対応に助けられてきました。それは今回のような喧嘩だけではなく、体調を崩した時などです。気を遣ってくれて、その中で最善策を提案してくれて。無理をしそうな自分をいつだって、彼女は優しさと正しさで掬ってくれます。それが繰り返されていく中で、今の自分があります。不思議と自分が大好きな人の言うことは聞いてしまう、そんな魔法を彼女を持っています。もちろん、それなら喧嘩もないはずなのですが、やっぱり自分も一人間として、どうしても譲れないものもあります。その度にぶつかることはありますが、先ほども書いたように、本音で言い合えることを決して後向きに捉える必要はないと自分は思います。ただ、やっぱり言い方、伝え方はしっかり意識しないといけません。どれだけ優しさや正しさがあっても、そこに言い方や伝え方が乗っかってこなければ、それは曲がって届くことになるからです。だから、自分はこうやってブログを通して、伝え方をこれからも訓練したいのです。言葉が人を傷つけるものではなくて、人を掬う言葉であるように。彼女が好きな自分の言葉であるように、6月もまた届けたい言葉を書いていきます。
読んで頂き、ありがとうございました。
引き続き、「NanashunのBLOG」をよろしくお願いします。
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