好きでいるより難しいこと
こんばんは。Nanashunです。
最近のブログはなんだか出来事ばかり書いてて、日記に近いようでしたので、たまには考え方のブログを書きたいと思います。とはいえ、自分がブログを書きたい時など最近は決まって彼女のことでしかないので、そこは避けずに書いていきます。
率直に彼女ができて、というか彼女を好きになってから思ったのは、「好きでいる」ことの何倍も「信じる」ことの方が難しいということでした。でも、これって言葉にしてみると当たり前だよなあと思うかもしれません。それでも自分は、どうして同じように相手を想う気持ちでも、こんなに自分の感情に違いがあるのかと単純に疑問を持ってしまいました。
では次になぜ「好きでいる」ことが簡単で、「信じる」ことが難しいのかという話ですが、「好きでいる」ことが簡単なのは、シンプルに自分が彼女のことが大好きだからです。こんなに言語化できないことがあるのだろうかと自分でもびっくりしていますが、だからと言ってこれ以上の言葉は見つかりません。想いが強いあまりに、自分にとって彼女を「好きでいる」ことなど容易いのです。一方、「信じる」ことが難しいのは、彼女と自分が正反対だからです。これは昔に書いたブログ『太陽と月』にもあるように、自分たちは基本的に正反対の性質や性格を持っています。例えば、彼女は自分が好きになるくらいなので、もちろん高嶺の花ですが、自分はさして特別手が届かない人ではありません。また、性格も彼女はまさに太陽のような明るい性格の持ち主ですが、自分はすでにこのブログからもわかるように基本的には暗い性格をしています。そうなると、自分たちはそもそも歩んできた人生そのものも全く違うのです。でも、だからこそお互いがお互いにないものに惹かれあって今があるのですが、それは必ずしも簡単なのことではありません。例えば、自分の中の正解が彼女の中の不正解であることもありますし、その逆もあります。それを「信じる」ことに置き換えた時、ところどころで自分の中の不正解を彼女の中の正解に当てはめてしまったり、逆に自分の中の正解を彼女の中の不正解に押しつけてしまったり、ということが起きるわけです。それは世間一般的には価値観のすり合わせなども呼ばれています。でも、自分からすれば価値観のすり合わせ自体は難しいものではなくて、むしろそれはお互いに尊重できればいいと思っています。ただシンプルに、自分の中の歪んだ正義が、彼女を信じることをどこか妨げていて、それが自分にとっては苦しくて、申し訳ない気持ちにさせるわけです。
では考えるべきは、なんなのでしょうか。それもまた答えはシンプルで、自分が強くなるほかありません。そもそも心配性な自分です。こうなることは、初めから約束されていたと言われればそうです。でも、それでも自分は彼女を「好きでいる」ことに決めたわけです。であるならば、自分のこの気持ちは自分自身で乗り越えなくてはなりません。ただ、こういうと、なんだかもう無理してるのかななんて思うかもしれませんが、これは無理でもなんでもなくて自分が越えなくてはいけない試練なのです。そして、それはいつどこで誰であろうと立ちはだかるものです。それが今来ているわけです。何も問題ありません。むしろ自分たちはこれまでもそういう価値観で何度もぶつかっては、その度に乗り越えてきました。だから、正直ここまで書いておいてですが、あまりここに関しては心配していません。それでもやっぱり、「好きでいる」ことより「信じる」ことの方が難しいと再度認識させられたので、こうして今回言葉にさせていただきました。でも簡単な恋より、難しい恋を乗り越えてこそ、深まる愛だと一丁前にそれだけは信じているので、そこはあえて楽しむ気持ちでまた自分の感情と向き合っていきたいですね。でも、ほんとこれもどれも全てはあまりにも素敵すぎる彼女のせいなんです。悔しいくらいに、素敵な彼女の。
読んで頂き、ありがとうございました。
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