それらはきっと透明だから

 こんばんは。Nanashunです。

 1月が終わろうとしています。皆さんはどんな1ヶ月だったでしょうか。幸先の良い年明けができたでしょうか。はたまた、厄年と言わんばかりの不幸に襲われたでしょうか。どちらにせよ、一個人としてはブログを読んでくれるあなたには、どうか末永く幸せでいてほしいと願うばかりです。さて、ではそういう自分はどうだったのか、という話を今回はしようと思います。

 結論、自分にとって1月は、何も隠すことなくとても感情の揺れる1ヶ月だったことに間違いありません。初詣で彼女の両親にお会いして緊張するも、嬉しかったこと。急遽決まった旅行に、あたふたしながらも楽しかったこと。彼女がメンタルで病んでしまって、心配だったこと。その原因は自分で少しだけ嬉しかったこと。彼女が自分の家、部屋に来てくれて、あまりに嬉しかったこと。商談が全然上手くいかなくて、悔しかったこと。彼女の商談が上手くいって、嬉しくも悔しかったこと。見えないストレスが重なって、しんどかったこと。おばあちゃんが亡くなって、悲しかったこと。仕事の目標が達成できて、安心したこと。彼女のプレゼントを買ってワクワクしたこと。両親は喧嘩したけど、弟の成長ぶりに熱くなったこと。久しぶりに先輩とご飯に行けて、嬉しくも寂しかったこと。久しぶりに彼女と思い出の地に行って、懐かしんだこと。仕事でミスをして落ち込んだこと。きっと、彼女にプレゼントをあげたら、喜んでくれること。そんな1月は、一言で良し悪しを語れないほどに、必死に生きていたこと。そんな中で支えられて生きていたこと。ごめんなさい、ありがとうということ。虹でも収まらないほどの感情の色彩がそこに広がっていました。

 でも、これだけどんな多くの感情に色分けができても、それはあくまで自分が色分けしたものに過ぎないのです。なぜなら、それらはきっと透明だからです。見えるのは、感情の先にある行動や表情、言葉であって、どれだけいってもやっぱり感情は見ることができません。なぜなら、それらはきっと透明だからです。透明だから、見えないのです。でもだからなくならないのです。厳密には、なくなっても気づかないのです。なぜなら、それらはきっと透明だからです。そういう中で、自分たちはお互いの感情を懸命に読み合うことで、喜怒哀楽を分かち合って生きていると思うのです。そういう見えないものの大切さに気づけた1月は、なんだか疲労感もありながら、それは多幸感でもありました。というか、見えないものだから、見えるものより大切にできたのかもしれません。それならば、振り返る今に、決して悲観的な要素は何もないのだと、今なら自信を持って言えます。さて、2月はどんな月になるのでしょうか。自分でももちろん想像はできないですが、少なからず見えない感情は大切にしたいです。なぜ見えないか。なぜなら、それらはきっと透明だからです。見えないのなら、見えるように努力すればいい。その努力がきっとまた2月を有意義なものへと変えてくれると、それだけは根拠もなくあまりに強気に言えるのです。

 読んで頂き、ありがとうございました。

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