満月になる時
こんばんは。Nanashunです。
昔から臆病な自分は、今までもその自分そのものに何度も苦しんできました。しかし、それだけが自分ならまだしも、最近は知っての通り、守るべき存在も増えたことで、その臆病さがゆえに周りの人へも苦しみを与えることになっていました。そんな中、訪れた彼女との危機について書いていきます。
実は最近、些細な喧嘩が多くありました。しかし、それ自体は自分たちは話し合いできる術を手に入れたので問題はなかったのですが、逆にそこに甘えたが故に、喧嘩しても大丈夫だからと、何かにつけても喧嘩をしていました。そんな日々の連続で、流石の彼女もそれ自体がストレスということを言っており、しかしながら、どうにもできないことへの難しさも抱えており、こうなると自分もどんどん自己嫌悪に陥っていきました。最終的には「彼女は自分といて幸せなのか?」とうとうそんなことまで疑い出すほどでした。そこには信じたくない自分と、彼女と本当の幸せを願う自分のどちらもが共存しており、その日は結論、ご飯が喉を通りませんでした。彼女だけでなく、自分もとうとうストレスを感じていると気づいた時には、正直言って、彼女との最後まで想像するほどでした。しかしなから、そんなことが杞憂であるかのように、彼女は何し一つして自分たちの関係に疑いは持っていなかったのです。それなのに、自分は自分の臆病さに勝手に苦しみ、それをわざわざ自分で終わらせようとしていました。いかにも自分勝手だなと思う一方、そんな疑いの余地を全く見せない彼女の信じる強さに、またしても救われてしまいました。彼女は自分なんかよりも自分のことを何倍も信じてくれています。その証拠に、彼女がいつかに自分に言った、
自分を信じられなかったら、代わりに私がその分信じるよ
この言葉が蘇ってきました。彼女は好きとか愛とか、そういう綺麗事よりも先に、相手を信じるということに疑いを持っていません。そしてそれこそが、彼女で言う「好き」であり、「愛」であるということを、自分はほんとに学ばなくてはいけません。彼女が本当の意味で太陽というのは、その光に遮ることを許さない一直線の想いなのです。そうだとするならば、自分もその迷いのない一直線の想いを、真っ向から受け止めなくてはなりません。そうではなくては、月は輝きを失っていき、新月だの、半月だの、中途半端なものになってしまいます。しかし、全てを受け止めることができれば、それは満月と呼べるのです。満月になれることができれば、例えそれに曇がかる日が訪れようと、見つけることができます。それならば、先ずは自分が自分を信じるところから。「好き」や「愛」よりも手前にある信じる強さを、彼女という太陽から学ばなくてはならないのです。そんなことに気づけた一昨日の空は満月で、昨日の空は快晴でした。それはまるで自分たちの様でした。
読んで頂き、ありがとうございました。
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