かがみのなかのエール

 こんばんは。Nanashunです。

 最近、心配性が克服されてきて個人的には良い状態ではあるものの、どうやらその心配性(不安性)が彼女に影響されてしまったらしく。結局、自分たちはやっぱりお互いに補完し合って生きていると思う今日この頃に、そんな彼女に向けて言葉を紡ぎます。

 その心配性のことを言われたのは、先週の日曜日。ちょうど自分が心配性がなくなった1週間後くらいでした。ご飯を食べて散歩していると、「最近よくわからない不安がずっとある」と彼女から言われました。自分は少しでもその不安の原因に寄り添おう、またはその原因がもし自分であるならば、一緒にすり合わせしよう、ととにかく彼女からの言葉を待っていました。しかしながら、その本質については彼女自身もあまりわかっておらず、だからこそ余計不安になるのだと言っており、往年心配性の自分には共感しかありませんでした。しかしながら、共感だけでは何も解決することはなく、だからと言ってその場で解決できるような魔法もなく、それでも自分はただ傍にいることだけは揺るぎない事実であることを伝え、少しでも彼女に安心できるようにしました。それ自体には彼女もとても信頼を置いてはくれましたが、やっぱり一緒にいる時間にどちらかが悩んでいる状態は、自分もどうにかしたいと世話焼きになってしまいました。

 不安残る翌日、彼女は生憎にも仕事の繁忙期と重なってしまい、ついにメンタルにまで影響を及ぼしてしまいました。こうなってしまうと、せっかく克服できたはずの心配性も再び蘇ることになりました。でも、そう言うとこれを読んでいる彼女はどうせ、私のせいだ、なんていらない心配をかけると思います。ところが、心配性の自分はこれまでの自分です。これまでもずっと彼女の隣にいた自分です。自分もよく知る自分にまたしても出会えたことに、自分は前向きに捉えていました。だからこそ、何か特別な言葉を発するでもなく、だからと言ってそっとしておくわけでもなく、やっぱり自分にできることはどこまでいっても傍にいることだと、その時に再認識しました。そんな中で、彼女の仕事終わりにはいつものLINEではなく、あえて電話をかけました。すると、彼女は電話に出るやいなや、はじめは喜びの照れ隠しのような声を見せるも、自分がその照れ隠しを見つけるように色々言葉を発していると、だんだんいつもの彼女になってきました。自分にとってはそれが嬉しく、それだけがわかっただけでも電話して良かったと思いました。もちろん、それで彼女の不安が解消されたとは思っていません。それは、今まで自分が生きてきた何年間が証明しています。そんな簡単なものに向き合っているのではないのとは、充分理解しているつもりです。それでも、そういう感情の日々も、少しでも嬉しい、楽しい、そういうプラスの感情になる瞬間が訪れれば、だんだんとそのマイナスの感情も払拭されていきます。これもまた、自分が生きていきたい何年間が証明です。だから今は、しんどい時期かもしれませんが、一番傍にいる人間を鑑して、ヒントを得てくれれば嬉しいです。

 隣人を鑑に、自分を鏡に。自分もまた彼女を鑑に、自分を鏡にして、ここまできました。そうである事実が背中からかける言葉は、大丈夫、自分らしくいて。そしてこのブログは、心配性の隣人が送る心配性へのエールなのです。

 読んで頂き、ありがとうございました。

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