supernova
こんばんは。Nanashunです。
生きることは素晴らしい。そう感じることが最近多いなと感じています。それは歳のせいなのか、もしくは身近にそう感じるような出来事があったからか、そのどちらかに分かれるかと思いますが、今回で言えば後者です。そんな沈んだ出来事について、自分が思った、あるいは感じたことを書いていきたいと思います。
先日、世界でも有名なサッカークラブ「リバプール」の選手であり、また自分が好きなサッカー選手であるクリスティアーノ・ロナウドと同国のポルトガル代表選手であるディエゴ・ジョタ選手が交通事故で亡くなりました。また、こちらも自分が好きなYouTube Channel「令和の虎」に出演していた青笹さんも急性心不全により亡くなりました。どちらも29歳でした。29歳、自分とはたったの5歳しか変わりありません。この事実は、最近健康診断で悪い数値が出た自分にとっては決して自分事とは言えず、人はやはりいつ死が訪れてもおかしくないことを再認識しました。それもあって、ここ数日は気分は落ち込み、また病は気からと言わんばかりで、体調にも少し異変があったりとして、そうなるとやっぱり考えることもたくさん募っていくわけでした。
その中で一つ自分が思ったことは、ものすごく当たり前で言うこともわざわざ言うことも幅枯れるくらいですが、後悔の人生を生きたいということです。ただ、これ結論から言うと無理だと思います。それはなぜか、人はどこまでも欲深いからです。普通に考えて、生きているうちに、もうやりたいことは全てやり切った、なんて人はいません。例えば、スポーツで一度金メダルを取った人は、2連覇を目指しますし、恋愛が成就し、結婚に至った人ですら、次は家庭を目指します。つまり、人間の欲に終わりなどないのです。だから、後悔のない人生を生きる、というのは不可能に近いです。しかし、人はその時点での後悔のない人生を生きるように設定されています。これは、最近だと今年の1月に彼女と名古屋に旅行行った際に話したことと同じです。どんなに急な死が訪れても、その人にとってはその時間が最大だったわけです。結果論でしかないですが、そう思う他ないのも事実です。しかし、そうは言っても諦めるは、また違います。諦めなかった中での最大=その人の人生は幸せ、で終わると思っています。
そう思うと、やっぱり無理だと思っていても、よく深く後悔のない人生を歩もうとすることは、生きる希望になります。いつものような何気ない日常がある時を境に、輝き出すことがあります。その一寸の光を最近は感じました。やはり自分の身近にそういう沈むような出来事が起きると、どうしてもそういうような日に見えてしまうものです。結局、人は熱が出ることで身体を認識し、鼻が詰まることで呼吸を認識するのと同じように、忘れがちな当たり前を思い出します。そういう意味では、自分は最近になってから体調を崩しがちにはなりましたが、同時に忘れかけていた当たり前に感謝できたり、それこそ後悔のない選択をしようと強く思えています。それが決して良いのかは分かりません。体調が悪くなっている以上、それを綺麗事にはできませんが、しかしながら、そう思えること自体は悪くないと思います。そう思えることで、これから会う人、これなら会う人の中で生まれる出来事の一つ一つがかけがえのないものになっていくからです。
いつかに、彼女と付き合いたての時に先輩に言われた言葉がありました。「幸せのピークを自分で作ってしまうのは危険」、これは先輩の言いたいことは、長続きするためには一定の幸せが続くことの方が大事と、当時、自分がBUMPのライブやクリスマスなど、今までにない幸せのピークを作っていることに苦言を刺されたことがありました。当時は、そうなのかと鵜呑みにしていましたが、今なら再度自分の考えが間違っていないと強く思えます。常に幸せのピークを持っていくことが、その日を後悔のない人生を生きることです。安定だの、一定だの、機械的な恋愛は、もちろん続くという意味では良いかもしれませんが、面白みや思い出という点においては、やっぱり足りないものばかりだと思います。そうやって面白く、記憶に残る人生を今も今までも生きてきました。だから、自分はこれからも幸せのピークを毎週、いやここまで来たら毎日持って来れるように、自分の人生に後悔のない生き方をしたいですね。
正直、ほんとにいつ死ぬかなんてわからないんです。これが最後のブログになったっておかしくないくらい、世の中も自分の身体も変化し続けています。永遠を望むなら、一瞬を愛せ。一瞬一瞬の積み重ねで、今日が出来上がっているのではあれば、それは美しくもありながら、儚くもあります。それはいわば、宇宙でいうsupernovaのような、一瞬で最も輝く光のようです。その光が続く限り、この目に焼き付けたい景色がたくさんあります。その焼き付けた景色をこれからも言葉にし続けたいと思います。だから、改めて自分は明日死んでもいいように、伝えたいこと、届けたいことは余すことなくブログに書く。それが今度自分が亡くなった後も遺産として残っていく。今はその記録の一部を載しているのです。
読んで頂き、ありがとうございました。
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